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一円銀貨物語
(1105kB)

幕末期のお金 明治期のお金(1) 明治期のお金(2) 明治期のお金(3) 大正期のお金
昭和前期のお金 戦時中のお金 戦後のお金(1) 戦後のお金(2) 戦後のお金(3)




 一円銀貨は、その大きさ、デザインの素晴らしさ、年銘(明治3年〜大正3年)の多様さ、そして
それなりの希少性等から、近代コインの「王様」とも言われ、多くの収集家から親しまれています。
しかし、一円銀貨には「苦難の歴史」がありました・・・さて、苦難の歴史とは???



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1,一円銀貨の誕生

 明治新政府は、政権を引継いで日も浅い、慶応4(1868)年閏4月貨幣鋳造をする機関として
貨幣司を設け、従来型の二分金、一分銀、一朱銀、天保通寶の鋳造を行った。
 この旧貨幣では、外国の信頼を得ることは不可能で、純分と量目の正確な新貨幣の製造が待っ
たなしとなった。

 その頃、香港にあった英国王立造幣局が閉鎖された。そこで長崎居留の Thomas Glover を
仲介として、英国造幣局の機械を6万ドルで購入することなった。
 造幣寮の建設は、慶応4年8月から開始されたが、翌明治2年11月に工事現場が火災となり、
機械や建築資材の多くがが焼失したため、再度英国から焼失分の機械を購入、ヨーロッパの技
師、職工も招聘して工事を続行、ようやく明治3年11月に完成した。


 一方、本位貨幣をどうするかの議論がされ、明治2年6月「銀貨を本位貨幣とし、金貨を補助貨
幣とするの案が決定した。明治3年12月になって、財政や貨幣制度の調査で渡米中の伊藤博文
から金本位制採用の強行な意見書が提出された。


 こうして、明治4年5月に公布(第267号)された新貨条例では、金貨幣を本位貨幣とし一円を
その原貨と定めた。また、貿易通貨として一円銀貨を鋳造する。この
一円銀貨は、開港場のみの
通用となり、一般には通用しない
ものとなった・・・この一円銀貨は、明治4年7月から発行され、苦
難の歴史が始まった。

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(注)明治6年1月1日太陽暦を採用:明治5年12月3日を明治6年1月1日とする(改暦以前:文中断りの無い時は旧暦)


旧一円銀貨 (明治3年)
(注)発行当時は、貿易専用通貨で国内は通用禁止
(d:38.58mm、w:26.96g、銀900、銅100)
明治4年1月17日(新暦)から、明治5年7月31日(新暦)まで製造された。
全てが明治3年銘のようである



旧一円金貨
(d:13.51mm、w:1.67g)
純金:1.5g=一円




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2,貨幣模様の変更

 明治7年3月の布告(第34号)で、貨幣の模様が変更された。 これは、対外信用を得るためと、
五拾銭以下の補助貨幣との統一を図ったものである。表面には、量目:416グレイン(26.96g)、
銀品位:900を表示、また裏面には、一円の額面を中央に配置した。

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新一円大型銀貨 (明治7年〜8年)
(注)発行当時は、貿易専用通貨で国内は通用禁止
(d:38.60mm、w:26.96g、銀900、銅100)
明治7年銘未収につき写真は、同一仕様の明治11年銘、明治8年銘もあり


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3,貿易銀の発行

 
明治8年2月の布告(第35号)で、新しく貿易銀が発行された。従来の一円銀貨を増量、一円の
文字が貿易銀に変更された。
 対外貿易での活躍が期待された一円銀貨であったが、当時東洋の市場で圧倒的な勢力を誇って
いたのは、メキシコの8リアル銀貨で、一円銀貨はなかなか相手にされなかった。
 これは、日本だけでなくアメリカ、イギリスも同じで、原因は含有純銀量の差にあった。
   ・メキシコ・・・量目:27.02g 、銀位:902 、純銀:24.37g
   ・アメリカ・・・量目:26.73g 、銀位:900 、純銀:24.06g
   ・日  本・・・量目:26.96g 、銀位:900 、純銀:24.26g(香港ドルも同じ)

 アメリカは明治6年、量目:27.22g 、銀位:900 、純銀:24.48gのトレードダラーを発行し
た。日本もこれに習い、アメリカと同一仕様の貿易銀を明治8年2月に発行したのである。

 しかし、アメリカや日本の思惑は、みごとにはずれた。この銀量の多い貿易銀が市場に出回る
と、利にさとい清国商人は争ってこれを手に入れ、鋳潰して利益を得たのであった。こうして、

円銀貨(貿易銀)を国際通貨として流通させようとした、政府の目論見は失敗に終わり
、貿易銀
(一円)は、わずか3年ほどで発行をやめてしまった。

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貿 易 銀 (明治8年〜10年)
(注)発行当時は、貿易専用通貨で国内は通用禁止
(d:38.58mm、w:27.22g、銀900、銅100)




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4,一円銀貨が国内で一般通用

 明治11年5月の布告(第12,13号)で、
一円銀貨(貿易銀)の国内における無制限通用を認
め、金銀複本位制に移行
する。また、同年11月の布告(第35号)で、貿易銀の鋳造を見合わせ
、明治7年布告(第34号)の一円銀貨を再発行すると定めた。

 一円銀貨と貿易銀の2種の新旧貨幣が流通したので、素材価値のすぐれた貿易銀は「悪貨が
良貨を駆逐する」のたとえどうり姿を消して、鋳潰されたり、退蔵されてしまった。
 また、貿易銀は、メキシコ銀よりすぐれた素材にも拘わらず、海外では安く扱われた。これは、
日本が国際的に認められていない事も意味していた。

 貿易銀が海外で通用しないこと、世界的な銀相場が暴落していたこと、さらに本位貨幣である
金貨幣も製造できなくなっていたこと等から、政府は窮余の一策として、明治7年型一円銀貨を
本位貨幣に転用し、これの無制限通用も認めたのでる・・・やっと、
一円銀貨が国内で一般的に
通用
するようになった。

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新一円大型銀貨(明治11年〜20年)
(注)明治11年5月より、一円銀貨(貿易銀)国内無制限通用となる
(d:38.60mm、w:26.96g、銀900、銅100)

明治12年銘:未収集
明治19年、20年銘には、直径のみ僅かに小さい小型一円銀貨も存在する。




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5,絶頂期を迎えた一円銀貨

 明治15年10月に、日本銀行が設立され、明治18年5月から兌換銀行券(大黒札)が発行される
ようになった。この時、その兌換には一円銀貨を当てることとなった。兌換には、金貨を用いたかっ
たが、金貨の発行量が少ないうえ、その多くが海外に流出し、事実上金貨が無い状態であった。
 (注)明治4年〜16年の金貨の鋳造量は、5525万円で、内80%に当たる4410万円が輸出された。

 こうして、
一円銀貨は、事実上の本位貨幣となって、しばらく絶頂期が続くのである・・・

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兌換銀券:一円(大黒)・・・現行通用




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6,一円小型銀貨の発行

 明治20年銘の一円銀貨には、大型(旧型・d:38.6mm)と小型(新型・d:38.1mm)がり、
その後は、大正3年銘まで小型が製造された。これらは、大型、小型とも量目、品位は同じで
直径だけが変わっています。
 ただし、明治19年銘の一部に直径38.3mmのものが存在します。

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新一円小型銀貨(明治20年〜30年)
(注)明治11年5月〜明治31年3月:一円銀貨(貿易銀)国内無制限通用
(d:38.10mm、w:26.96g、銀900、銅100)




一円銀貨、貿易銀 の 発行状況

収集家の心裏としては、「年銘別の発行量、その残存量」を知りたいところであるが、これがどうもはっきりしない?

これは、一円銀貨が貿易専用通貨として誕生し、その後、国内通用〜国内禁止後も国外での通用、戦後相当量が国内に環流した等数奇な運命
をたどったこと、製造高、発行高等の、年度ごとの統計期間がまちまちであること、年銘極印の取替え時期がはっきりしないこと等のためである。


ここでは、造幣局百年史:製造高、発行高 、 日本貨幣カタログの発行枚数、 図録日本貨幣の資料を並べてみる。

日本貨幣カタログの年銘別発行枚数は、図録日本の貨幣の累計発行高の年増加量(*印除)と、ほぼ一致している。
参考文献 造幣局百年史:資料編 貨幣カタログ 図録日本の貨幣(元資料:日本金融史資料)

年次
明治
製 造 高 (円) 発 行 高 (円) 発行枚数 一円銀貨発行現在高(千円)
月日 一円銀貨 貿易銀 月日 一円銀貨 貿易銀 一円銀貨
貿易銀
累 計
発行高
鋳潰高 海外純
輸出高
金貨と
交 換
差引国内
現在高
貿




4〜5 17 2,740,724 . 17 2,740,245 . . 2,740 . . . 2,740
5 8.1 944,969 . 1.1 944,804 . 3,685,049. 3,685 . 21 . 3,663
6 7.31 . . 12.31 942,006 . 942,006 3,685 . 21 . 3,663
7 81 942,192 . 139,323 . 139,323 4,627 . 54 . 4,572
8 26 139,353 38,360 16 . 38,351 . . . . . .
8年度 7.1 . 124,445 7.1 . 124,417 (貿易銀) 4,863 . 385 . 4,478
9 6.30 . 2,425,057 6.30 . 2,424,574 3,056,638 6,378 . 238 . 6,140
10 . 436,673 . 436,585 . 7,530 . 1,661 . 5,869








11 1,879,354 32,717 1,878,984 32,711 856,378 8,679 . 2,256 . 6,423
12 3,306,835 . 3,306,181 . 1,913,318 10,592 . 3,208 . 7,383
13 5,089,113 . 5,088,110 . * 5,247,432 16,020 227 6,350 . 9,442
14 3,294,988 . 3,294,325 . 2,927,409 18,947 231 9,348 . 9,367
15 4,479,844 . 4,478,948 . 5,089,064 24,036 243 9,950 . 13,842
16 3,831,933 . 3,831,168 . 3,636,678 27,673 243 10,233 . 17,195
17 5,869,548 . 5,868,375 . 3,599,192 31,272 244 10,889 . 20,138
18 73 2,076,924 . 73 2,076,510 . 4,296,620 35,569 408 12,746 . 22,413
19年度 4.1 9,334,273 . 4.1 9,332,405 . 9,084,262 44,653 423 20,143 . 24,086
20 3.30 8,349,284 . 3.30 8,347,617 . 8,275,787 52,929 423 30,490 . 22,015
21 9,628,543 . 9,625,314 . 9,477,414 62,405 426 35,800 . 26,179
22 7,294,735 . 7,290,449 . 9,295,348 71,704 449 39,578 . 31,673
23 7,448,064 . 7,443,259 . 7,292,877 78,994 450 51,138 . 27,361
24 7,815,230 . 7,809,685 . 7,518,021 86,512 452 50,667 . 35,383
25 11,653,878 . 11,645,662 . 11,187,613 97700 453 50,325 . 46,921
26 11,790,216 . 11,782,611 . 10,403,477 108,103 453 55,525 . 52,124
27 26,800,000 . 26,785,701 . *22,118,416 128,682 457 81,932 . 46,292
28 16,500,000 . 16,491,211 . *21,098,754 150,789 458 103,138 . 47,192
29 10,940,000 . 10,934,179 . *11,363,949 162,288 460 110,849 . 50,977
30.12 . . . . . . * 2,448,694 165,133 460 105,223 28,400 31,048
. 31. 7 . . . . . . . 165,133 460 99,508 38,648 26,515
小 計 . 3,057,252 . 162,077,072 3,056,638 . . . . . .

年次
明治
製 造 高 (円) 発 行 高 (円) 発行枚数 一円銀貨発行現在高(千円)
月日 一円銀貨 貿易銀 月日 一円銀貨 貿易銀 日本貨幣
カタログ
累 計
発行高
鋳潰高 海外純
輸出高
金貨と
交 換
差引国内
現在高
(注)図録日本の貨幣の資料:日清戦争(明治27年)の際携帯輸出した、11,028千円を控除していない



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7,一円銀貨の国内通用禁止

  明治30年3月公布の貨幣法(法律第16号)によって、純然たる金本位国となった。この法律
により、新しい五円、十円、二十円の金貨が発行された。一円当たりの純金量は、従来の半分の
0.75gとなった。結果新一円金貨は、小さく成りすぎて支障きたすとのことで発行されなかった。
 そして
一円銀貨の国内通用を明治31年4月1日限り禁止、交換期限を、同年7月31日限りと
した。
 
 この時代、世界各国の金本位制採用への流れと、銀価格の低落は、もはや止めようがなかった。
我国の金本位制実現に大きく寄与したのは、日清戦争の勝利による賠償金であった。この賠償金
は、3億5836万円で、明治28年一般会計予算:1億1843万円に比べ膨大なものであった。

 一円銀貨の流通は禁止されたが、兌換銀券(紙幣)は歴然と流通していた。兌換銀券には、一円
銀貨と交換する旨が記述されているのだが、一円銀貨は無くなり、一円金貨も無いに等しい”おかし
な状態となってしまった。
 この、一円券(武内)、この前に発行された一円券(大黒)も、法的に認められた現行通用券である。

 昭和6年12月の勅令第291号で
、当分のうち日本銀行兌換券の金貨兌換ならびに台湾銀行券、
朝鮮銀行券の金貨引換を停止するとした。しかしその後、兌換
が再開さることは二度と無かった。

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改造兌換銀券:一円(武内)・・・現行通用




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8,○銀打ち銀貨の登場

 開港場の外国銀行のなかには、明治30年3月公布:貨幣法の実施に疑念をいだくものが少なくな
かった。金銀の間に相場の差ができるのを恐れた政府は、全ての一円銀貨は、金貨と交換すると宣
した。

 当時、一円銀貨の輸出高は1億1千万円にものぼり金貨の引換開始とともに、巨額の一円銀貨が内
地に環流する懸念があった。

 政府は、交換期限の明治31年7月末までに、ふたたび環流して金貨に引換られるのを防止するた
め、明治30年9月の布告をもって、一円銀貨に○銀の極印を施すこととした。
 引揚げた一円銀貨のうち、2,045万円に○銀の極印を打った。当初心配した環流額は、1,284
万円にすぎず、心配は杞憂に終わった。
 引換期限経過後は、外国に売却するに際しても、極印を打たなかった。

 しかし、台湾や朝鮮では、一円銀貨が盛んに流通していて、すぐに通用禁止とすることができなかっ
た。結果として、○銀打の「有るもの」と「無いもの」が混在することとなり、この○銀打の有無で通用す
るしないといった市場の混乱が起こったため、明治30年10月に始まった丸銀打は、翌31年3月には
取りやめとなった。

 明治30年5月の公布(勅令第144号)で、貨幣の形式を定める勅令を出し、竜図面が表面であった
ものを裏面に変更する
とした。

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○銀一円銀貨(明治3年銘〜30年銘)
 丸銀打         丸銀打  がある
○銀一円銀貨のその後
内  訳 金額:円
・朝鮮へ回送 330,000
・台湾へ回送 2,100,000
・威海衛占領軍 197,175
・香港へ回送売却 13,953,000
・上海へ回送売却 550,000
・外国銀行へ売却 2,250,000
・補助貨幣の地金 1,069,825
合  計 20,450,000
○銀打ちは、貿易銀にもあり



一円銀貨の引上概況(明治31年7月31日現在)
項   目 金額:円 備    考
総発行高 165,133,710 明治3年〜30年銘、貿易銀含む
 ・鋳潰高 460,904 .
 ・純輸出高 99,508,740 .
 ・日清戦争携帯使用高 11,028,633 .
 ・台湾へ回送使用高 8,695,000 .
 ・金貨と交換受入高 38,648,297 ・内地流通分:11,009,231円
・日銀所有分:16,792,601円
・外国帰来分:10,846,465円
 ・租税他の収入引揚高 3,977,099 .
差引国内引換未済高 2,815,037 ・散失と認められる分




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9,最後のおつとめ

 明治30年3月公布:貨幣法の実施により、我国に金本位制が施行され、同年7月31日をもって
一円銀貨の引換期間が終了した結果、不要となった多くの一円銀貨が中国の中南部沿岸地方に
売りにだされた。

 この、一円銀貨は、品位、量目が正確、竜の模様も精密なことから大いに歓迎され、中国のみな
らず、タイ、マニラ方面まで流布され、その額は1億3千万円を超えるにいたった。
 政府は、明治34年2月に、台湾銀行用の一円銀貨の製造を開始する旨公布、明治41年までに
2286万枚が製造された。そしてついに、明治41年10月、台湾における公納使用を明治41年
12月31日限り、台湾銀行券との引換を明治42年4月30日限りとする旨公布した。こうして、法律
に裏付けられた一円銀貨は、姿を消すこととなった。

 しかし、日本国内に続き台湾でも通用禁止となった一円銀貨は、真偽の鑑別が容易で携帯に便
利なこと等から需要は高く、この時をもって円銀流布の好機とする考え等もあって、またまた製造が
開始され、明治44年から大正5年(貨幣の年銘は大正3年が最後)までに1650万枚が製造された。
明治34年以降に製造された一円銀貨は、総計で3936万枚となった。
 その後の、一円銀貨については、文献も少なく詳しいことは分からないが、素性がはっきりしてい
るこもあり、法的なお金としてではなく、定位の銀塊として終戦ごろまで使用されたのではないかと
推測される。

 ・明治27年 8月  日:韓国での、一円銀貨法貨として流通を認める(新式貨幣発行章程)
 ・明治28年 4月17日:日清講和条約調印(日清戦争終結:台湾統治始まる))
 ・明治30年10月 1日:引揚げの一円銀貨に○銀の極印を施す。
 ・明治30年10月22日:台湾での、○銀一円銀貨を公納に使用することを認める(勅令第374号)
 ・明治31年 1月27日:台湾での、一円銀貨と日本銀行兌換券の自由交換を認める(総督告示第6号)
 ・明治31年 7月30日:台湾での、時価による一円銀貨の無制限通用を認める(律令第19号)
 ・明治32年 9月26日:台湾銀行開業する(同日、台湾銀行券一円銀券を発行する)
 ・明治34年 2月20日:台湾銀行用の円形銀塊(一円銀貨のこと)の製造を開始(大正3年銘が最終)
 ・明治34年 2月22日:韓国での、○銀一円銀貨の流通を禁止するも、日本の圧力で同年7月解除
 ・明治37年 6月 4日:台湾での、一円銀貨、○銀一円銀貨公納に限り使用を認める(律令第9号)
 ・明治39年 2月19日:台湾銀行法を改正、銀行券の兌換を銀貨から金貨に改める(法律第3号)。
 ・明治41年10月20日:台湾での、一円銀貨の公納使用を12月31日限り廃止する(律令第16号)
 ・明治41年10月24日:台湾での、一円銀貨の交換を明治42年4月30日限りとする(総督令第65号)
 ・明治44年 4月 1日:日本の貨幣法を、台湾および樺太に施行する(勅令第64号、65号)
 ・大正 3年 8月  日:造幣局、円形銀塊1000万枚急造に努力する(本年度製造:1150万枚)
 ・大正 6年 9月 6日:銀の輸出を禁止する(省令第26号)


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新一円小型銀貨(明治34年〜大正3年)
(注)明治30年5月以降、勅令により竜図面が裏面となる、国内通用禁止
(d:38.1mm、w:26.96g、銀900、銅100)



一円銀貨の製造高(明治34年以降)

貨幣面
の年号
図録日本の貨幣 貨幣カタログ
製造高(円) 発行高(円) 発行枚数




明治34 1,256,252 1,256,252
35 668,782 668,782
36 5,131,096 5,131,096
37 6,970,843 6,970,843
38 5,031,503 5,031,503
39 3,471,297 3,471,297
41 334,705 334,705
45 5,000,000 5,000,000
大正 3 11,500,000 11,500,000
39,364,478 39,364,478
参考文献:図録日本の貨幣(元資料:明治大正財政史)




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10,一円銀貨の子孫たち

 戦後間もない、昭和23年10月、およそ30年ぶりに一円銀貨の子供にあたる、一円黄銅貨が
発行された。この一円黄銅貨は、終戦直後の凄まじいインフレにより、非常に小さなものとなって
しまった。
 その後も、インフレが続いたことに加え、昭和25年6月に朝鮮動乱が勃発し、これを契機に製造
が中止されてしまった(製造期間:昭和23年10月〜昭和25年6月、発行枚数:4億5117万枚)


 この一円黄銅貨には、さらに悲しい出来事があった。貨幣は、「補助貨幣損傷等取締法」によっ
て損傷したり、鋳潰してはならないとされており、違反すると罰せられることになっているのだが・・
・・昭和27年5月公布の補助貨幣損傷等取締法臨時特例によって、短期間の過渡的な措置では
あったが、
一円以下の補助貨幣の鋳潰し行為を罰しないとされた時期があったのである(この臨
時特例は、昭和28年7月廃止された)

 そして、昭和30年6月、一円銀貨の孫にあたる一円アルミ貨が発行された。この一円アルミ貨
は、さらに小さくなって、とうとう量目は1gとなってしまった。しかし、発行後50数年が経過した現
在も、多くの人々に愛され使用されているこは喜ばしいかぎりである。
          (昭和30年〜平成24年までの発行枚数:約441億枚)


 この一円アルミ貨には、面白い話しがある・・・昭和35年頃から、「一円玉ききん」が深刻になっ
たのである。当時でも20億枚も発行されていたのであるが・・・死蔵による一円玉不足は、この頃
からのようである。
 大蔵省は、一円玉ききんを解消すべく大増産に入ったのであるが、造幣局だけでは製造が間に
合わず、創業後初めて民間会社(平塚市:小松電子工業)に貨幣の発注(昭和38年12月〜昭和
41年1月、製造量:14億6500万枚)をしたのである。
 さらに、府中刑務所、大阪刑務所へも旧式圧印機を25台づつ持ち込み、昭和39年6月〜昭和
41年3月の間に6億7000万枚を製造したのである。「国が大切なお金造りの仕事を与えてくれる」
と言うことで、受刑者は非常に感激したと言うことである。・・・(造幣局百年史より)


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終戦直後の貨幣(昭和21年〜25年:すべて通用禁止)
一円黄銅貨(d:20.0mm、w:3.2g) 五十銭大型(d:23.5mm、w:4.5g) 五十銭小型(d:19.0mm、w:2.8g)



一円アルミ貨(昭和30〜)
(d:20.0mm、w:1.0g、アルミ1000)






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